押し寄せる奔流を、
竹のしなりと石の重みで受け止める。

竹蛇籠の歴史

黒部川の治水と竹蛇籠

 黒部川で本格的な治水工事が始まったのは、佐々成政が新川地方を治めた天正年間(1580年頃)と言われています。 昔は、四十八ヶ瀬と呼ばれる分流を川倉でせき止めて、それぞれの集落に必要な用水を引き入れたり、また、 洪水に備えて霞堤※を築きましたが、そうした工事に欠かせなかったのが竹蛇籠でした。

 明治時代に富山県に招かれたオランダ人技師ヨハネス・デレーケも、この伝統技法を用いて築堤工事を行っており、 竹蛇籠は昭和40年代半ばまで黒部川の治水・利水工事に活躍しました。 竹蛇籠は、竹のしなりや石の重みを活かした工法として、 仮締め切り工、洪水時の堤防決壊防止工 法および川倉工と併用した水はね工、災害復旧の護岸工などに使われました。 必要なときにすぐに間にあうよう、家々の屋敷林や川べりには竹が植えられていました。

※堤のすき間に水を引き込んで、流れを弱くするしくみをもった堤防。

川のせせらぎが、もっと身近になるように

 今日では河川は単に治水、利水の機能を持つ施設としてだけなく、 河川のもつ多様な自然環境や水辺空間がうるおいのある生活環境の舞台としての役割が期待されることから、 「多自然川づくり」にふさわしい土木材料として、竹蛇籠が見直されるようになりました。

河川伝統工法

日本に伝わるさまざまな河川の伝統工法。

川倉(かわくら)

 一般に急流河川で用いられ、三角錐の形の木枠に竹蛇籠を乗せて水の勢いを弱めます。 馬の鞍のようであることから「川の鞍」、のちに「川倉」と呼ばれるようになりました。 黒部川では藩政時代から使用されてきた治水・利水工法です。

粗朶(そだ)

 粗朶(そだ)とは、里山から切り出した雑木の枝のことで、これを格子状に組んだ沈床を皮に沈めて、 川床を守ります。河川のビオトープ化や、里山の自然管理にも役立つと言われています。

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